Sep 06, 2010

酵母や線の菌機能シースルーライトについて

シースルーライトは、ダイエット補助食品としては珍しい微生物を使用したダイエットです。驚いたことに、酵母や線の菌が脂肪や糖質を食べてくれるのです。これにより、運動せずにカロリーを消費してくれるので、何もせずにダイエットをすることができます。私もこのシースルーライトを使ってみようと思います。
ダイエットのダイエットを助けてくれるサプリメントなどを利用している方も多いと思います。最近話題のサプリメントは、シースルーの光があります。シースルーライトは酵母を利用したダイエットで消費されていない食べ物を酵母の代わりに食べてくれるのです。これなら普通の食事をしながらも、無理なくダイエットすることができます。
 長岡市は、新潟・福島豪雨で被害を受けた水田の復旧の補助率をアップするなどの被災者支援策を発表した。
 農道や農業用水路、水田の復旧費用の補助率を5%アップするほか、床上浸水以上の被害を受けた場合、市民税や固定資産税、水道料金、下水道使用料などが減免される。さらに、中小企業への経営資金や住宅の建て替え資金などを融資する。
 また、自宅が全壊や半壊するなどした場合、生活再建のための物資購入に、被害状況に応じて30万〜400万円を補助する。【岡村昌彦】

8月6日朝刊

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 ◇「原発はなくていい」と訴え−−見附市・大坂剛三さん(85)
 「地獄だった。倒れている人が『水くれー、水くれー』とね。でもあげられなかった」。見附市に住む大坂剛三さん(85)はため息をついた。
 旧新潟村(見附市)で生まれた。終戦の年の1945年4月に召集され、広島で船舶通信隊に入隊した。「原爆に遭いに行ったようなもんじゃ」と表情を曇らせる。
 原爆投下の8月6日は、爆心地から約2キロ離れた兵舎で寝ていた。ごう音と共に、気が付いたら建物の下敷きになっていた。はいつくばって外へ出た。軍の通信機材を保管していた比治山に避難。そこで初めて、ひざから下の皮膚がやけどで垂れ落ちているのに気がつき、腰が抜けた。大勢の市民が、上半身の皮膚がむけて垂れ落ちた姿で、「兵隊さん、助けて」と集まってきた。どうしようもできなかった。死人の山になっていった。
 その後、野戦病院になった近くの国民学校に移った。そこは「死ぬ一歩手前」の人間の山だった。死にかけの人の目にハエがくっつき、ウジが鼻から出ていた。裏の畑では毎日、大勢の死者を荼毘(だび)に付した。人間の体に含まれる油がはじけて、作業している人の服が汚れていた。母親が5歳くらいの子どもの遺体を運んできて、「荼毘に付してほしい」と頼んでいた光景は今も脳裏に刻まれている。「かわいそうで仕方がなかった」とつぶやいた。
 終戦の8月15日、天皇陛下のラジオ放送を聞いた。目の前に死体の山。そしてこれから死んでいくであろう被爆者も大勢横たわっていた。「終戦と聞いて彼らはどう思うのだろう」。涙があふれ出た。
 つえをついて歩けるまで回復し、9月8日に除隊を命じられ、広島から見附市に戻ってきた。どうやって帰ったのか覚えていないという。ただ、見附駅に午後3時ごろに着いたら、駅前で父親がリヤカーを引いて待っていた。父の姿を見て、何も言えずに泣いた。
 72年に被爆者団体「新友会」に入った。核廃絶などを訴えてデモ行進するなど、平和運動に参加した。原点は被爆体験だ。「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけ」
 語り部として招かれて被爆体験を話すことがある。ただ、もどかしさを感じることも。20年近く前、三条市で講演会をした際、主催者の若者に「被爆体験ばかり話すのではなく、今後どうすればいいのかと言わなければだめ」と注意されたという。「まず被爆体験を伝えることが大切だと分からんのかね」と、被爆体験の継承の難しさにため息をついた。
 原発建設にも反対してきた。東日本大震災による福島第1原発の事故にも心を痛める。見附市にも放射能のため故郷に戻れない福島県の人たちが避難している。「原発で重大な事故が起きたら、原爆のように人が人でなくなるかもしれない。今の生活よりレベルが少し落ちてもいいということを納得すれば、原発はなくていい」と訴える。
 穏やかな口調から一転し、強い口調で締めくくった。「世界のどこにも、もうヒバクシャをつくってはいけない」【岡村昌彦】
    ◇
 広島、長崎に原爆が投下されてから66回目の夏を迎えた。世界で唯一の被爆国・日本は今、福島第1原発事故という「核」問題が突きつけられている。「平和利用」の名の下、核エネルギーを使用してきた私たちの戦後が問われている。県内で暮らす被爆者に、思いを聞いた。

8月6日朝刊

 近江八幡の町を開いた豊臣秀次の生涯を題材にした歴史小説「豊臣秀次−抹殺された秀吉の後継者」を、東近江市市原野町の小説家羽生道英さん(75)がこのほど発刊した。「殺生関白」などと称された悪いイメージを拭い去るとして、「現在の近江八幡市があるのは秀次の功績。彼の光の部分に目を向けてほしい」と話した。
 知人の近江八幡観光物産協会の森嶋篤雄会長(62)から「近江八幡の町おこしに秀次を書いてほしい」と依頼され、昨夏ごろから市史などを参考に執筆活動を始めた。
 小説では、秀吉のおいの秀次が総大将として戦った小牧・長久手の戦いで敗れる場面から物語が始まる。秀次を「深く道理と分別をわきまえた人で、思慮深かった」と評し、京都の寺の高僧から教養を学んでいた、とする。自害の原因となった謀反の疑いは「石田三成の保身のため」に作られた、と記した。
 羽生さんは、女性を自害させ胎児を取り出したなどとされる悪者のイメージは後世に作り出されたものだとする。「楽市楽座制の導入や、下水処理のための八幡堀整備など優れた指導者だった秀次の功績に目を向けてほしい」と話している。PHP文庫から出版。267ページ、600円。書店で購入できる。
 発刊記念講演会が24日午後3時半から近江八幡市鷹飼町のホテルニューオウミで開かれる。無料。申し込みが必要で先着100人。近江八幡観光物産協会TEL0748(32)7003。

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